2022年1月5日:聖書に学ぶコロナ騒動終着点(前編)

※管理者はクリスチャンではなく、特定の宗教活動にも従事しておりません。

これまで新型コロナワクチンの懸念点について述べてきましたが、ワクチンを受けなければ全て解決なのでしょうか。
そもそもの問題は旧来からの社会システムが行き詰まり、経済発展が限界を迎え、格差の拡大が生じていることです。そこに新型コロナウイルスの流行をきっかけとして社会システムの変革や新技術の浸透が進んでいるのであって、その一要素に過ぎないユニバーサルワクチン(集団免疫を目標に全員がワクチンを受ること)を止めたところで、全体的な流れは変わりません。

唐突ながら、これからのことを考えていく上で、重要となる質問を提示します。

質問

あなたは神を信じますか?

現代日本人の多くは「神様はいるかもしれない…根拠はないけど。」と言葉を濁すことが多いと思います。管理者もそうでした。しかし、私たちも仕組みを完全には理解していない道具やシステムを利用し、頼りながら生活をしているのではないでしょうか。以下に具体例を挙げますので、考えてみてください。

以上のものは永続的に利用できる保障はなく、また個人には把握しきれないリスクをかかえているにもかかわらず、現時点では信じて使うしかない状態に現代人は置かれていると言えます。このどこが「信仰」と違うのかと言われても仕方ありません。

これまで医学を論じるのに、医学雑誌に掲載された論文を参考にしてきました。ここからは神のことを論じるのに、聖書を参考として引用していきます。
まずは人々が無根拠に信じている神以外のものについて聖書を引用します。

偶像を仰いではならない。神々の偶像を鋳造してはならない。わたしはあなたたちの神、主である。

レビ記 第19章 4

「偶像」というと、異教徒によって作られた仏像などをイメージしてしまいますが、次のように言い換えられています。

あなたたちはそこで、人間の手の業である、見ることも、聞くことも、食べることも、嗅ぐこともできない木や石の神々に仕えるであろう。

申命記 第4章 28

人間はやがて自分たちのテクノロジーで作った「偶像」に逆に支配されることが予想されています。
しかし、神はテクノロジーの全てを否定しているのでしょうか。以下にノアの箱舟の話を引用します。

神はノアに言われた。「すべて肉なるものを終わらせる時がわたしの前に来ている。彼らのゆえに不法が地に満ちている。見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟には小部屋を幾つも造り、内側にも外側にもタールを塗りなさい。次のようにしてそれを造りなさい。箱舟の長さを三百アンマ、幅を五十アンマ、高さを三十アンマにし、 箱舟に明かり取りを造り、上から一アンマにして、それを仕上げなさい。箱舟の側面には戸口を造りなさい。また、一階と二階と三階を造りなさい。

創世記 第6章 13-16

人間と様々な動植物を収容できるノアの箱舟を作るには高度なテクノロジーが必要と考えられますが、神はそれを許可しています。対比として、以下にバベルの塔の節を引用します。

彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、 言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

創世記 第11章 4-7

こちらでは人々が協力して「天まで届く」という神の領域に近い物を作り、他の人を圧倒しようという意図があるところを神は許容していないように読み取れます。
医療も突き詰めていくと、本来であれば神の仕事である、人体を造ること、人命の終わりを定めることに干渉していくことになります。mRNAワクチン技術も生命のアルゴリズムを乗っ取ることで目的を達成するという意味では、神の領域に入っていると言えます。現にオハイオ州の敬虔なキリスト教集団で自給自足生活をしているアミッシュは新型コロナワクチンを受けず、皆が新型コロナに感染して収束したとのことです。管理者は世界中で同じことをやればよいと思っています。
How Amish Communities Became The First To Achieve Covid "Herd Immunity" Without Higher Death Rate, Shutdown, Masks, Or Vaccines

逆の面から考えると、新型コロナ騒動で、「コロナはただの風邪」という考えに賛成する人と反対する人に別れましたが、そこには死生観・信仰の違いが現れていたと言えます。

このように、「コロナはただの風邪」派は自分の身体を作ってくれた神を信じていると言え、そうでない人は神を信じきれないため自分たちでなんとかしなければいけないと考えていることになります。両者が理解し合うのが困難である理由が明らかになりました。
長くなりますので、聖書に学ぶコロナ騒動終着点(後編)に続きます。

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